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金谷文則

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調整中 2016年5月4日(水)


只今、更新準備中。しばらくお待ちください。


赤磐市の豪雨による水害 2012年7月10日(火)


7月6日から7日にかけ、赤磐市は豪雨に見舞われ、大変な被害が発生しました。
災害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げますと共に、災害の対応にご尽力いただいた皆様に熱くお礼申し上げます。

今回の豪雨については、7月6日(金)11:00から7日(土)11:00までに観測した雨量は次の通りでした。
本庁…72.5ミリ   赤坂…112ミリ   熊山…96.5ミリ   吉井…82ミリ
また、時間雨量としては吉井支所では6日23:00〜7日0:00で20ミリでしたが、50ミリを超えるところもあったようです。赤坂では7日0:20〜1:20で48ミリ、熊山は7日1:00〜2:00で28ミリでした。
この雨量だけを聞くとそれだけしか降らなかったの?と思うほどです。雨の量の割りに、被害が多すぎるように思います。
旧山陽の正崎地内には7日午前4:45に避難勧告が発令され、7:24まで解除されませんでした。この正崎の地域は度々水害に遭っている地域で、コブ川と言う小さな川が砂川に合流している場所で、産業建設常任委員会でも、度々早急に改良しなければならない地点として問題にされています。先の委員会でも取り上げられ砂川の橋の架け替えを含め、要望をしたところでした。
また、旧赤坂地内も砂川の堤防が数か所決壊し、作付された水田を土砂が覆い尽くしました。小さな河川のカーブしているところや合流地点も水流に土手が洗い流され、各地で川が氾濫しました。土砂崩れもいたるところであり、人家の裏山が崩れ朝起きたら寝室の前まで土砂が迫っていた所や、道路の法面や山肌の土砂が崩れ一時孤立する地域も出たほどです。
国へ災害を申請して認められるまでにはかなりの時間を要します。赤磐市として、住民の不安の払しょくや負担軽減のためにも、積極的な早い救済措置が求められます。
議員としても、積極的に取り組むよう働き掛けをしていきたいと思います。

梅雨末期の大雨や、台風などがこれから予想されます。まず、早急な災害復旧を行い次に備えられるよう、市当局はもとより、地域・個人としても十分な対策を講じられますようお願いいたします。

以下に今回の豪雨災害の一部ではありますが、写真を掲載いたしました。その状況を見ていただき、災害の備えをしていただきたいと思います。
私も、災害に強いまちづくりのため、頑張って行きたいと思います。
被害に遭われました皆様が、一日も早く元に戻られることを、祈るばかりです。


(砂川の水が越流した五日市地内)


(水に浸かった後の正崎橋付近)


(氾濫したコブ川)


(氾濫した水により道路が陥没)


(氾濫した水により道路が陥没)


(冠水した正崎地内)


(正崎地内水没した田畑や住宅)


(正崎地内冠水した後の県道)


(北佐古田:土砂が車庫を塞ぐ)


(北佐古田:家の裏が土砂崩れ)


(出屋:砂川の堤防が決壊)


(下分:市道の下が崩落)


(惣分:側溝が崩壊)


(山手:地すべり)


(山手:地すべり)


(山手:道路下崩落)


(西軽部:川土手の崩壊)


(多賀:水田の畦の決壊)


大学時代の恩師、宮岡一雄先生
 2012年7月9日(月)


先月28日、私の大学時代の恩師が亡くなられ、葬儀のため東京に行ってきました。
私は、明治大学農学部の作物学第1研究室と言うゼミに、3年4年の二年間お世話になりました。その時の教授が、今回亡くなられた宮岡一雄先生です。大正14年のお生まれでした。
私には3人の父親と呼べる人がいます。もちろん実の父親、大正15年生まれ。頑固ですがまだ健在で農業をやっています。もう一人は、故宮岡一雄先生です。特に人生においての物の考え方を、教えてくださった大恩人です。私の座右の銘として「落葉帰根」をいただきました。三人目は、初めて社会に出、仕事をさせていただいた株式会社大仙の、当時社長であられた鈴木米次さんです。いつか機会が有れば、ご紹介したいと思います。
故宮岡先生には大変お世話になりました。明治大学生え抜きの教授で、一時は牧野植物図鑑の5千種類の植物が、すべてわかるぐらいの知識をお持ちでした。また、漢文に造詣が深く、漢詩の作成や書道にもたけておられ、私の座右の銘他いくつかの色紙や短冊を書いていただきました。そして、人生哲学について良くご指導をいただきました。また、大学退官後は知識を生かし、地域の自然環境の保護や観察活動に尽力されました。
思い出は尽きません。7月2日通夜、3日無宗教での葬儀が有り、大先輩方と参列させていただき、弔辞を読ませていただきました。その時の文面と、5月15日最後に先生のご自宅をお伺いし、奥様と一緒に移した写真を個々に掲載し、恩師故宮岡一雄先生の死を悼みたいと思います。
合わせて、葬儀の当日ご一緒させていただいた、中澤先生、長谷川先輩、小島先輩、そして同期重城にも、お礼申し上げます。
3日の葬儀の後、浅草で同期の植田と重城と3人で、7年前に研究室の同期の面々と宮岡先生を交えて写した写真をテーブルの横に飾り、酒を酌み交わしました。
同期の友、恩師の有り難さをつくづく感じました。感謝、感謝です。


(恩師故宮岡先生ご夫妻へ報告。昨年暮れに結婚した次女の写真を見ながら5月15日写す)


(恩師との最後の記念写真になりました。5月15日)


今年も砂川に「鯉のぼり」を泳がせました。
 2012年5月1日(火)

 平成24年4月29日(日)、東窪田と西窪田から12人の参加で、砂川の両岸からワイヤーを渡し「鯉のぼり」を泳がせました。
今年で3回目ですが、昨年は3月11日に起きた「東日本大震災の復興」や「私たちができる事をやろう!」のスローガンを書いたボードを鯉のぼりの様に切抜き泳がせました。
今年は、赤坂中学校の生徒会が中心となり、この大震災で被災された人たちへの思いを書き込んだ鯉のぼりも一緒に泳いでいます。砂川の上を渡る薫風に、ひときわ映えています。
また、橋の欄干には、赤坂中学校の生徒会が中心となり、「東北から学んだこと」をテーマに、メッセージを書き込んだ鯉型のボードが、学年ごとに掲げられています。
被災された皆さんが、この大空を泳ぐ鯉のぼりの様に、早く元気を取り戻してもらえるように、祈りを込めています。
この「鯉のぼり」の設置は、夏休みいっぱいまでと考えています。民間ボランティア「あかいわピーチプロジェクト」が、福島県相馬市の小学生を7月21日から4日間赤磐市へ招き、安心・安全な赤磐市で野交流を計画しているため、設置期間を長くしました。
この中学生たちの参加に対し、ある市民から「素晴らしい活動だ、赤坂中学校をもっともっとアピールしなさい。」と寄付金をいただきました。
赤磐市は、東北から大変遠く、思うような支援はできないけれど、まず、自分たちに何ができるか考え、できる支援を皆さんでやって行きましょう。

 
鯉のぼりの設置をしてくださった皆さんと鯉のぼり


赤坂中学校の生徒がメッセージを書き込んだ鯉のぼり


赤坂中学校の生徒会が中心となり作成したメッセージボード


錦戸部屋東日本大震災チャリティーゴルフコンペが開催されました。 2012年5月1日(火)

 平成24年4月30日(月)、赤磐市東軽部の赤坂レイクサイド・カントリークラブで、元関脇水戸泉の錦戸親方を招き、東日本大震災チャリティーゴルフコンペが開催されました。
当日は、赤磐市を始め近隣から84名が参加し、東日本大震災により被災された皆さんへの義援金を集め、錦戸親方に託しました。
錦戸親方は、茨城県水戸市出身で、今回の大震災ではいち早く東北へ駆けつけ、多くの支援活動を自らしてこられました。今回は、赤磐市在住で錦戸親方と親交の深い岡本さんの取り計らいで、地域の多くの皆さんの協力の元、多くの参加者を集めることが出来ました。錦戸親方からは、皆さんに感謝しいただいた義援金は「東北の被災地の皆さんのために有意義に使わせていただく」との事でした。
今回、同級生に誘われ参加させていただきましたが、義援金をお渡しするプレゼンターの大役をいただき、私から錦戸親方に皆さんの善意をお渡しいたしました。


参加された皆さんへの挨拶をさせていただきました。


義援金を渡し、有意義な活用をお願いしました。


錦戸親方と記念写真(お相撲さんは、大きいです。)


石相小学校入学式と石相保育園 2012年4月13日(金)

 4月10日、赤磐市立石相小学校の入学式が行われました。
私の母校です。今年は寒さが長く続いたせいで桜の開花が遅れ、ちょうどこの入学式を待っていたかのように、咲き誇っていました。
 さくらの花と一緒に入学式。新1年生もその親たちにとっても忘れ難い、良い日だったと思います。
 校庭の桜は、私が小学校に通っていた時も咲いていました。私の娘や息子たちの時代も、その校庭の桜は咲き、人生の区切りの道しるべとして毎年毎年花を咲かせています。
しかし、木をよく見るとかなり傷み、朽ちている個所も多く見受けられます。時代の流れを強く感じます。
 この桜が全盛期の時、校庭では300人、それ以上の子供の声が毎日響いていました。今年は、全校生徒が124人。新入学の1年生は21人です。


(左、新1年生21人へ教科書を給与。 右、入学式の来賓として出席された学校を支えている区長や地区代表者。)

 赤磐市教育委員会は、石相地区以上に児童数の減少が激しい軽部小学校と笹岡小学校の統合案を提示しています。私は、自分が老いた桜の木のような気持ちで、この話を受け止めています。
 いろいろな意見があると思いますが、2校だけの統合案だけの賛否を問うのでなく、将来の事を考えるならば、旧赤坂地区3校を統合し、目先だけのお茶を濁したようなやり方でない方が良いと思います。子供の教育を考えても、地区民の感情を考えても、その方が良いと思います。
 地区区長の代表の方からも、同じような意見が地区の説明会で出ましたが、教育委員会の答えは、「2校の統合に賛成か否かを図っている。他の事は考えない。」との一点張りです。


(石相小学校と校庭のさくら)

 校庭で無邪気に遊ぶ子供たちのために、赤磐市、教育委員会、地区民らが、ひざを交えよく話し合ってから、重要な決断はすべきだと思います。軽々に事を運ぶべきではないと思います。意思疎通がなされていないように感じられてなりません。


 赤磐市では、再編の話が進んでいます。

それは、保育園です。赤坂地区と吉井地区の保育園について、3月29日に再編検討報告書が市長に再編委員会から提出されました。
 子供の数の減少と施設の老朽化が主な要因として、保育園の再編を検討しました。赤坂地区においては、3園統合の上新しい保育園を作る事とし、吉井地区においては黒本保育園、仁美保育園を休園とし、周匝保育園と佐伯北保育園の2園で運営することが望ましいとしました。
 再編の実施期間は、平成24年の早期に具体的な事業計画を策定し、平成25年度末までに事業を完成することを目標にするとのことです。
 石相保育園は、私の巣立った保育園でもあるので、小学校の入学式の帰りに立ち寄りました。私の親たちが奉仕作業でこしらえて築山もまだ残っており、当時を思い出しました。


(昭和34年に建てられた石相保育園。そのころから有る桜の木と藤。)


福島県相馬市再度訪問 2012年4月11日(水)

 平成24年3月31日と4月1日の両日、福島県相馬市へ東日本大震災発生以来2回目の訪問をしました。
同僚議員の海野議員と一緒に東京経由で福島に入りました。3月31日は、天候が悪く、羽田空港について飛行機の中で待機している間も、強風で飛行機が揺れるほどでした。
東北新幹線に乗るため山手線に乗りましたが、ドアが開くたびに爆風が音を立てて車内に入ってきました。強風のため電車は一時ストップするなど、都内は大混乱でした。また、新幹線に乗ってからも風と大雨の影響か、雨しぶきで車外は周りが見えないほどでした。
幸い、福島についた時点ではまだ雨や風が強い状態でなく、相馬在住の村岡さんに案内をお願いし、1年前に視察した新地町や相馬市の被災地を回りました。


新地町で津波に耐え、残った松林の一部


津波の被害を物語る今も残る電柱


新地町に設けられた瓦礫の集積場にある「がんばろう」の看板


3.11当日の津波により座礁したままの貨物船

 1年前訪れた時は、建物が無くなり、田畑が無くなり、その上に多くの瓦礫が重なり、壊れた車が、船が、家財が散乱していました。それらは片づけられていましたが、無の荒地が広がったままです。あれだけ有った瓦礫は、みんなの力で片づけられていました。
 夜になって、相馬市内の公園を訪ねました。そこには、放射線の測定器が設置されていました。公園の様に屋外で緑に囲まれた箇所の方が、放射線の測定値は高いとの事でした。



相馬市内にあった放射線測定器。0.387マイクロシーベルト/時を示しています

この数値はまだ低いそうです。福島市ではまだ高い数値を示しています。ちなみに、岡山県モニタリングポストでの過去の平常値の範囲は、0.043〜0.103マイクロシーベルト/時です。平成23年6月23日に赤磐市での測定値は、0.079マイクロシーベルト/時でした。



福島民友新聞4月1日掲載の福島県内の放射線測定値

4月1日は、南相馬市にある原発から30qの立ち入り禁止区域の検問地点を訪ねました。
道路には検問を設け、警察官が警備をしていました。そこにいた警察官は、兵庫県警からの応援部隊です。問題の無いとされる放射線量ですが、屋外の境界に一日中いるわけですから、いろいろな影響を一番受ける事になるのではと、心配をしてその場を後にしました。本当に、ご苦労様です。


宿泊したホテルの女将さんが携帯していた放射線測定器


道路で検問を行っている警察官

宿泊した相馬市内のホテルは、いつも満杯状態で、週末に若干空きが出るくらいとの事。ホテルでは、常に携帯用の放射線測定器で、ホテル内の放射線量を測定し、安全である事を、宿泊者に分かるようにしてありました。
 また、有名な「相馬の野馬追」の開催を知らせるポスターが張られ、復興への強い意気込みを感じることが出来ました。


相馬野馬追のポスター

相馬市内の生涯学習センターで、NPOふれんずの梶田さんやスタッフの方と赤磐市内の民間ボランティア団体が計画している、相馬の子供たちを安心安全な赤磐市へ呼び、楽しい夏休みを過ごしてもらおうとする取り組みについて、話し合いを持ちました。そこに、相馬市議会の佐藤満議長も参加され、話し合いを持ちました。
佐藤議長からは、ボランティアの取り組みに感謝の意を表されると共に、昨年訪問した議員団の再度の訪問が有れば、市としても議会としても、この1年の復興の様子について、説明資料と共に、説明を行う用意があるとの事でした。
また、赤坂中学校の生徒会から預かってきた、「自分たちができる支援」について、相馬市議会へのメッセージを佐藤議長へ渡し、議長からは「主旨は理解した。教育委員会とも相談し、善処したい。」との返事を受け取りました。週明けには早速、赤坂中学校へ相馬市教育委員会からお礼の電話と、これからの事について連絡が有ったそうです。


相馬市議会佐藤議長とNPOふれんずの梶田さんと村岡さん

昨年4月29日、30日で最初に訪れた場所を再び訪問しました。大震災が起きて約1ヵ月半後に訪れた時は、すべての物が破壊され、大地に敷き詰められていたようでしたが、同じ場所に立つと、瓦礫は無くなっていましたが、ただただ広大な荒れ地が広がったままです。胸が締め付けられます。私たちに何ができるか。大きな問題です。また、なぜ、こんなに復興が遅れるのか、政治家の端くれとして、歯がゆくて、歯がゆくてなりません。







東北楽天の星野監督を囲む会から、3月11日のマスカット球場での応援を通して 2012年3月8日(木)

 3月8日(木)、明治大学校友会岡山県支部主催で「校友星野監督を囲む会」が、岡山市内の岡山プラザホテルで開催されました。
 校友とその同伴者を含め約130名が集まり、岡山を代表する野球人「闘将・星野仙一」を囲んで楽しい時間を過ごしました。
 私も妻と赤磐市議会の同僚、そして瀬戸高等学校野球部保護者会の元会長らと参加しました。

 特に明治大学時代のエピソードでは、田舎から東京六大学の野球部に入ったころ、大変多くの部員の中で如何に自分を目立たせるか、そして如何にその結果を出すかについて、今では大変問題になるような経験を交え、話していただけました。
 とにかく怖かった島岡監督、今でも一番怖かったと、雨の降りしきる中、グラウンドに一晩正座させられた思い出を話されました。
また、明治大学のラグビー部、北島監督の「前へ」と言う教えがプロの野球人となってからも、「闘将・星野仙一」を支えてきたとも話されていました。
「明治は、前へ」だ。実は、私の学生時代の事ではありますが、明治大学ラグビー部の八幡山の合宿所(ここに、北島忠治監督は住んでおられた。)に、私が所属していた馬術部から、馬のボロ(糞)を運んで行った覚えが有ります。また、そののち、北島監督が亡くなられる数年前には、直筆の「前へ」の色紙をいただきました。

話が横道にそれましたが、今の教育の問題では、「もっと子供の親がしっかりしなければいけない。」と触れられた。
また、昨年東北楽天の監督に就任したのも束の間、未曽有の大災害を引き起こした東日本大震災に遭遇し、当日、選手の家族やホームグラウンドの仙台の安否確認から始まった体験も話され、口に出して言えないほどのたくさんの問題に遭遇した1年で有ったとの事でありました。
その中、頑張りぬいてこられた心の支えは、明治魂「前へ」で有ったと話されました。

この「囲む会」の出席者には、校友会から10日、11日倉敷マスカットスタジアムで行われる東北楽天のオープン戦の招待券が配られ、星野・東北楽天を応援しに行ってほしいとの事でありましたので、3月11日は、未曽有の大災害が引き起こされた、大震災の当日です。私は、東北楽天を応援しに行くこととしました。


           東北楽天星野仙一監督

3月11日(日)は、朝は晴れていたのですが、昼前から曇りだし、しまいには雨が降りだしてしまい、傘を持ってのマスカットスタジアム応援となりました。
幸い、球場についたころには傘のいらない状態となり、一安心。球場の周りには、岡山県のB級グルメなどの屋台がたくさんでき、お昼ご飯を求めて長蛇の列ができていました。
また、東北の物産を販売するブースも設けられており、私たちもいろいろ購入させていただきました。
いただいた入場券は内野の自由席のため、スタンドの高い位置にあり、雨が上がってからの冷たい風に体を震わして、観戦しました。
最初に、楽天のマー君が姿を見せオープン戦の記念品を受け取った後、試合が始まりました。寒くて、寒くて・・・・。とても大変な応援となりましたが、午後2時46分には半旗が掲げられた球場で、選手も観客も全員で黙とうを捧げました。
宮城県の東北楽天を岡山に迎え、ちょうど1年目の3月11日午後2時46分を多くの祈りをもって迎えられたことに、感慨を深くしました。
改めて1年前の大参事を思い出し、一日も早く元の生活が取り戻せるように願うと共に、亡くなられた方々やその家族の皆様に、哀悼の意を捧げたいと思います。


          星野仙一監督を囲んで記念写真


          倉敷マスカットスタジアムでの黙とう


     3月11日午後2時46分、半旗が掲げられたスタンド

東日本大震災で被災した福島県相馬市の子供たちを、夏休みの数日間赤磐市に招き地域との交流をしてもらおうと「あかいわピーチプロジェクト」を立ち上げました。
昨年、相馬市から一時赤磐市に避難されていた村岡さんを、昨年の4月末我々赤磐市の議員5名が訪問したことを縁に、山陽団地の防犯組合やさくら薬局の中嶋さんの呼びかけで、スタートしました。絆プロジェクト「あかいわピーチプロジェクト」の始まりです。
次回、「あかいわピーチプロジェクト」について、皆さんにお知らせします。今、活動計画や規約が出来、ホームページも作成しているところです。


金さんコラム <アイルランド大使館からの赤坂中学校交流会>  2011年10月24日(月)


10月24日(月)に、アイルランド大使館より赤磐市由津里在住のアイルランド出身のミュージシャン、ショーン・オコナーさんを通じ地域の子供たちとの交流会の申し入れが有り、赤坂中学校へ打診したところ、快く受け入れていただいたことにより実現しました。 この交流会は、アイルランド大使館が、自国の文化を知って貰うことを目的として行ってきた事業ですが、地方での交流会は今回が初めてとの事でした。
 今回は、アイルランドでケルト伝統の音楽を教える専門大学の大学院を首席で卒業し、博士課程に通っている女性ミュージシャンのパトリシア・クラークさんとショーン・オコナーさんによるケルト音楽の演奏と歌を披露してくださいました。赤坂中学校からは、全校生徒による合唱でお礼をしました。
 当日は、NHKと山陽新聞の取材が有り、24日の夕方NHKのニュース番組でその様子が放送されました。
 トルシアさんとショーンさんは、赤磐市の赤坂支所も訪問し、田中所長から花束が贈られ、とても感激の様子でした。


赤坂中学校での演奏の様子

トルシアさんとショーンさん

赤坂中学校にて

赤磐市役所赤坂支所にて


金さんコラム  <石相分館の夕べ>  2011年10月22日(土)


10月22日(土)に、金谷の自宅にて赤坂公民館石相分館の地区主事会議の後、赤磐市由津里に住む、アイルランドから来られたショーン・オコナーさんと仲間のアメリカ人のミュージシャンによる、ミニコンサート「石相分館の夕べ」を行いました。
 ショーンはアイルランドのプロのミュージシャンで、通訳を兼ねる奥さんの順子さんと一緒に日本国内で活動をされています。東北の大震災復興のためのチャリティー活動も積極的にされています。
 ミニコンサートは会費制で、バーベキューと私の妻の手作りオードブルと、私の同級生の杉本さんの手作りスイーツでお腹を満たし、アイリッシュやアメリカンミュージックの生演奏や歌を楽しみました。当日は夕方になってから雷を伴った雨模様の中、庭にテントを3張設営し、稲光にびくびくしながらでしたが、とても楽しい時間を過ごしました。


ミニコンサート風景1

ミニコンサート風景2

ミニコンサート風景3

手作りオードブル

杉本さん作手作りスイーツ


金さんコラム  中国視察団の岡山訪問。  2011年10月20日(木)


 10月20日(木)に、中国洛陽市から岡山市の日中友好協会の招きで視察団が岡山県を訪問しました。日中友好協会のお世話をしている赤磐市の海野議員より、赤磐市のサッポロワイナリーを見学したいとの連絡を受け、地元議員として案内に参加させていただきました。農林局や科学技術局の職員や議会議員がサッポロワインの管理部長の説明を受けながら、工場見学を行いました。
 いま中国では、多くのワイン工場が出来、ワインの消費も拡大しているとの事でした。


中国洛陽市からの訪問団1

中国洛陽市からの訪問団2


金さんコラム 学習支援活動。   2011年10月13日(木)


<赤坂中学校ビジネスマナー講座>

 10月13日(木)に、赤磐市立赤坂中学校2年生を対象とした「ビジネスマナー講座」が開催され、講師の栄誉に与りました。昨年も招かれ、今年が2回目です。今年のテーマは、「将来の自分のために」と題して行いました。私が、旧赤坂町の東窪田に生まれ、石相小学校から赤坂中学校へ進んだこと。そして、高校、大学の受験を経、就職し、仕事の中で目標を待ってやってきたことなどを話しました。
 私の経験から、「将来の自分のために、今何をしなければならないか」パワーポイントを使って講演しました。
 中学校での厳しい先生との出会いで受けた影響が、社会人で大いに役立っている事。
また、中学校から高校へ、高校から大学への岐路で、大きな選択が有ったこと。
そして、会社勤めの中で、常に自分が持ってきた目標について話しました。


赤坂中学校での「ビジネスマナー講座」1

赤坂中学校での「ビジネスマナー講座」2

赤坂中学校での「ビジネスマナー講座」3


金さんコラム 学習支援活動。   2011年9月22日(木)


<赤坂中学校学習支援活動と放射線についての学習会>

 赤坂中学校では、昨年度に続いて今年も「学習支援活動ボランティア」を行っています。
主に数学の学習ボランティアを赤坂地区の市民に呼びかけ、今年は8月20日をかわきりに、来年2月まで7回を予定しています。
 ボランティアとして参加して下さる方の年齢は40代から70代まで様々で、地元の中学生に少しでも役立てばと、参加していただいています。
 段々と地域の繋がりが希薄に成ってきている現在、快く地域の子供たちのため、ボランティアをしてくださる皆さんに、心より感謝いたします。
 昨年度は、10人ほどのボランティアでしたが、今年はそれ以上の方が登録していただいているようです。中学1年生から3年生の数学ですが、「難しい、無理。」と思わずに、昔を思い出し、簡単なところからで構いませんので、皆さんも参加いただければと思います。
申し込みは、赤坂中学校です。

<放射線についての学習会>
 赤坂中学校では、希望者を対象に「放射線についての学習会」を開催しています。
9月10日(土)に第1回が開催され、10月、11月とシリーズで合計3回開催されます。
内容は以下の通りです。
 9月10日(土) ・原子のつくりと放射線
         ・放射線の種類
 10月29日(土) ・自然の放射線 半減期
         ・放射性物質
 11月19日(土) ・放射線の人体への影響 
         ・放射線対策
         ・原子力発電所の仕組み
 講師は赤坂中学校平田校長先生の大学時代の同期で、就実大学薬学部放射同位元素実験施設長の見尾光庸教授と同臨床系薬学分野病院薬剤実習センター江川 孝准教授です。
 第1回目は、原子の構造から放射線種類や身近な放射線などについて、分かりやすく簡単に説明をしていただきました。また、今回の福島原発事故の現場での対応状況など、新聞報道などのニュースではわからない苦労や問題について、実際の現場で経験したお話をうかがうことができました。
 また、実際に放射線測定器を使って、身近にある放射線量を測定し、今福島などで問題になっている放射線量などについて勉強しました。
 次回、10月29日も参加させていただくつもりです。
*平田校長先生が、この分野の専門家であったことには、びっくりしました。校長先生のおかげで、他の学校では経験できない素晴らしい学習会ができた事に、感謝します。


          <赤坂中学校での学習会の様子>



金さんコラム 昇さんからの提言。   2011年9月22日(木)


私は、9月5日の赤磐市議会一般質問で「小中学校においての問題行動」について取り上げました。この問題は、8月5日の山陽新聞に文部科学省が8月4日に発表した「2010年度問題行動調査結果」から取り上げたものです。
 特にその内容の中で、岡山県内においては、「暴力行為やいじめに見られる“学校の荒れ”が前年度より軒並み悪化した。」「学校をめぐる深刻な状況が浮き彫りになった。」と有りました。また13日の山陽新聞には、暴力行為発生率「中学は赤磐がワースト」と有り、交通問題に続きまたしても、不名誉な勲章を授かりました。
 県教委の会合の中で有る担当者からは、「問題は学校、家庭双方にありそうだ、ここで踏みとどまらなければ、岡山の教育は崩壊の懸念すらある。」との意見が出ています。
 赤磐市の学力も伸び悩みが目立ち、その上、問題行動が拍車を掛け、赤磐市民として、大変情けなく思います。
 私は、議会の一般質問の中で、『教育に予算をかけてください。有能な指導者をおいてください。そして、教育委員会やその関係者だけでなく、多くの一般の人や子供の親を交え、広く市民から実情や生の声を聴き、「赤磐の教育を良くする会」のようなものを立ち上げ、真剣に対応を考えてはどうか。』と取り上げました。
 そして、「何とか良くなるまで、先生の数を増やし、隅々まで目が届くような環境作りと、教育委員会の予算が少なすぎてできないなら、予算付けをすべきだ。」と提案もしました。
私は、教育にお金をかけ、人を育ててほしいと思います。
 そんな矢先、9月13日の夜、市民の方から1本の電話が有りました。この方は、昨年度赤坂中学校の学力支援ボランティアとして、活動して下さった方でした。
 電話の内容は、「議会の一般質問で、教育の問題が熱心に取り上げられ、自分も教員を経験し退職したものとして、居てもたってもいられない気持ちで、自分が経験した内容を知らせ、少しでも赤磐市の教育問題が良い方向に進むよう願う。」と言うものでした。私は、その体験や考えをお聞きしたく、早速、次の日にお会いし、ご自分が実際にやられた当時の資料を見せていただき、教育に関する思いを伺いました。
 この方は、桜が丘にお住いで69歳になられる元大阪の公立小・中学校の教員をされていました。太平洋戦争の真っただ中に鹿児島県の離島に生まれ、戦争で父親を亡くされ、苦労しながら大阪に出、教員として活躍され、今は赤磐市に住んでおられます。
 私は、その当時学校で使用したいくつかの資料をいただきました。その中には、家庭学習の大切さについて、家庭での基本的な習慣づけを、各学年層に有ったポイントを分かりやすいチラシにした物や、学校での「学習の仕方」と言う小冊子に、全教科のポイントをまとめ仕上げた物が有りました。自らが汗をかいて、将来を担う子供たちのために努力された足跡を、如何に生かすか、私たちは考えなければならないと思いました。
 また、数学の先生をされていた関係で、すごくユニークな考え方で、関数の関係をつかむために、「実験を取り入れた関数指導」と言う研究発表をされた時の資料もいただきました。私が、この方が素晴らしいと思うのは、子供たちのために自身が創意工夫をし、それを行動に移してこられたということです。そして、今なお、その気持ちを持続され、地域のために活動をされておられます。
 二人で話をさせていただいた中で、特に共通した考えが有りました。それは、「いつでも夢を持っている。「夢を持たなければならない。」と言う考え方です。
 夢は、人により様々です。しかし、「目標を持つ」即ち「夢を持つ」ことは、人を輝かせ、進歩させることにつながると、思っています。
 私は、その方から手紙を後日いただきました。その中にとても素晴らしい言葉が書き添えて有りました。それを最後にご紹介します。
 「市内の各学校・園が、そして家庭・地域が、お子さんたち一人ひとりにとって『夢の発電所』になります事を祈念します。」

いただいた資料を添付いたします。


          <当時使用した冊子等>


          <実験を取り入れた関数指導>


          <いただいた手紙>


金さんコラム 松村光子さんのイスラエル教育省プロジェクト 2011年8月25日(木)


イスラエルの松村光子さんから、「ケレン・ハオール 12号」が届きましたので皆さんにお知らせします。

以下松村さんのメッセージです。-----
イスラエルは相変わらず、社会問題で大衆デモが続いています。問題は、住居、医療(医師の給料が安いこと、見習い医師の苛酷な労働条件の改善要求等)、生活費の高いこと等です。今週の土曜日(明日)も大きなデモが計画されているようです。エジプトのタフリル広場の抗議活動と似ています。あちらは政治問題、こちらは社会問題で、まだ暴力が行使されていないだけです。酷暑のときに、大変なことです。
パレスチナ国家を認め、軍事費を減らせば、解決するだろうにと遠くから眺めています。しかし、イスラエルは、右に傾向き9月の国連総会に対処するために莫大な軍事費を注いでいるようです。パレスチナ自治政府が国連で国家として承認してもらうよう動いているからです。
また、レバノンの南のヒズバラーとガザにイランから多大な武器が送られ、蓄積されていると報道されています。
広島の原爆記念日を前に、核兵器の無い平和な世界を祈ります。

松村光子


金さんコラム
 平成23年度明治大学校友会岡山県支部総会 2011年5月28日(土)


平成23年度明治大学校友会岡山県支部総会・懇親会が、平成23年5月28日(土)岡山プラザホテルにて開催されました。
それに先立ち、明治大学校友会名誉会長である、村山富市元総理大臣の講演会が、同日開催されました。私は、妻と一緒に参加いたしました。講演のテーマは、「最近の日本の政治に思う」と言うものでした。
ご自分が政治の世界に入るようになったきっかけから、第81代内閣総理大臣になった時の裏話、そして現総理大臣の管さんまでの総理大臣について、その時々のエピソードを交え、お話しされました。

      (元内閣総理大臣村山富市氏講演会)

今では死語になっている「親は無くても子は育つ」。かつては、子供は国の宝として地域住民がみんなで育ててきた。今の殺伐とした現代社会の問題についても話されました。
ご自身は、総理として阪神淡路大震災に直面し、その時の初動について遅さを叩かれながら、対策については信念と決断を持ち、対応についての組織を作り、任せるところはそれを信用しやり遂げた。責任については潔く決断し、けじめを付け総理を辞任したとのことです。
今回の東日本大震災において、現総理の対応については、いささか問題で有る事。今の状態は、日本にとって不幸なことだとも、話されました。
人を信用し、活かして使うことが大切である。
今の、総理のやり方は如何なものか。
村山さんは、現在87歳とのことでしたが、動きも話もとても年齢を感じさせないものでした。この先年齢を重ねて行くが、「もう」と「まだ」の違いを大切にとのことでした。
「もう、おしまい」では無く、「まだ、先が有る」この気持ちの違いが大切である。
色々話されましたが、私が感じたキーポイントの言葉を上げておきます。
・やればできる→自信を持つ。
・負け犬になりたくない。
・めぐり会わせ。
・自分の意志で、何かを決める。
・天命。
・自分を捨てきる。
・意味を自覚する。
・できなかったものをやる。
・これしかないと腹をくくる。
・明日の天気は変わらないけど、明日の政治は変えられる。
・総理は、24時間総理。
・言ったことがぶれ無い事。
・公にやる事と個人の事を区別する。
・人を活かして使う。
村山元総理の講演会の後、明治大学校友会岡山県支部の総会と懇親会が行われました。
昨年度の事業報告や決算報告の後、新年度の計画が承認され、懇親会に入りました。
昭和31年卒業の先輩から平成22年卒業の後輩まで、校友や父母会総勢100名余りが参加しました。最後に校歌「白雲なびく」をみんなで輪になり、手をつなぎ声高らかにうたいました。
つくづく、人のつながり、出会いの大切さを痛感した1日でした。


        (村山富市氏と岡山プラザホテルにて)


金さんコラム 松村光子さんのイスラエル教育省プロジェクト 2011年5月17日(火)


イスラエルの松村光子さんから、「ケレケレン・ハオール11号」が届きましたので皆さんにお知らせします。
以下は松村さんのメールより抜粋です。
「金谷様、今日は。お変りありませんか。日本は美しい季節ですね。やっと「ケレン・ハオール 11号」が出来ました。お送りいたします。お読みいただけたら、嬉しいです。イスラエルは今年は気候異変で、5月に入っても雨が降っています。昨日も雨が降り、今週末も雨が予報されています。
ケレケレン・オハール10号
ケレケレン・オハール9号


金さんコラム 瀬戸高校野球部三者懇親会   2011年5月15日(日)


平成23年5月15日(日)11:00から13:00、岡山県立瀬戸高等学校桃友会館にて、第1回の瀬戸高等学校野球部三者合同交流会が開催されました。この会は、瀬戸高等学校野球部現役学生と保護者会、そして後援会の三者が、共通の理解の元、親睦を深め、文武両道の瀬戸高校野球部を応援することを目的として、今回初めて開催されました。
 瀬戸高校野球部は、自前のグラウンドも無く、練習は放課後自転車で瀬戸町万富の多目的グラウンドまで行き行っています。なかなか本大会での連続勝利ができず、決して強い学校ではありませんが、とてもフレンドリーな部風が有り、保護者会の応援も活発です。
 3年前に後援会もでき、今では90名ほどの会員がいます。皆さん瀬戸高校が大好きで、「お金は出しても口は出さない」を約束とし、野球部の応援を行っています。「お金」と言っても会費は年間1,000円ですので、ほとんど会員への案内代で飛んでしまいます。しかし、特別寄付などでバッティングマシン購入の一部を負担したり、本大会への激励金や応援グッズの購入など、地道に応援を行っています。
 今回の交流会は、野球部員たちに、どのような人たちが自分たちを応援してくれているのか、また、後援会としては自分たちが応援しているのがどのような部員なのか。そして、保護者会はその両方の立場で、どのように瀬戸高校野球部をバックアップして行くのかを、肌で感じ取るために行いました。
 野球部員とマネージャー一人一人が、自己紹介をしっかりとやり、とても感動しました。ますます瀬戸高校野球部を応援したくなる、素晴らしい時間を過ごしました。今後後援会としては、部員や保護者が抱える進学や就職の悩みや疑問に少しでも役立つように、現役大学生の経験談や、学校情報などを伝える交流会を、夏の大会終了後に計画したいと考えています。
 今回の参加者は、野球部員とマネージャーで48名、保護者約60名、後援会が7名の合計115名ほどで、大変意義のある交流会でした。
 後援会からは、応援用に100個の新しいメガホンが寄贈されました。そのメガホンには、早速、部員と保護者で、応援メッセージを書き込んでいました。




金さんコラム 春の交通安全県民運動   2011年5月12日(木)


春の交通安全県民運動が5月11日~20日の間で実施されます。
赤磐市では、5月11日朝9時から赤磐市役所前駐車場にて出発式を予定していましたが、雨のため屋外での行事は中止となりました。赤磐市は、交通事故ワーストからなかなか脱出できません。昨年度は、やっとワースト1から2へとなりましたが、相変わらず悪い方の最上位に位置しています。旧赤坂石相地区では、地区区長会が音頭を取り、予てから車の通行が問題になっている鳥上中央線の石相小学校前で、この交通安全運動期間中を利用して、石相小学校児童の登校時における交通安全対策の一環として、通行車両に対して街頭啓発運動を行いました。
石相地区区長会(由津里、山口、町苅田、大苅田、東窪田、西窪田の6地区)の役員の方をはじめ、赤磐警察署交通課、森町苅田駐在さん、交通指導員、公民館石相分館、石相小学校、石相小学校PTA、そして、児童通学班の班長、副班長の多数の参加協力で、交通安全を呼びかけるチラシを通過車両1台1台に手渡しました。
チラシの裏には、石相小学校の6年生からのメッセージが書き添えられています。





天気予報では、1日中雨マークでしたが、開始の7時半ごろはほとんど雨もなく、途中で雨が降り出しましたが、皆さん濡れながらでも交通安全の啓発をしてくださいました。
この鳥上中央線は、県道の美作線の東窪田信号から、御津線の由津里に抜ける近道として、通勤車両が児童通学時にスピードを上げて多数通過します。幸いなことにまだ、児童への大きな事故は発生していませんが、重大事故が大変危惧されています。
7時半から8時の間、わずか30分ですが通過車両の数は56台を数えました。およそ1分に2台と言うことになります。私が、数か月前に調査した時は、7時から8時の間で、64台と71台でした。少し調査の時間帯は違いますが、通過車両が増えているようです。
石相地区区長会からは、鳥上中央線の改良について、赤磐市に対し要望が出されています。
早く、実現してもらいたいものです。
5月19日には、再度この街頭啓発運動が計画されています。この活動が実を結び、赤磐市が、交通事故ワーストから抜け出せることを願います。


金さんコラム 福島県相馬市を視察   2011年5月1日(日)


初めに、東日本大震災により亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたしますと共に、被災されました皆様に心よりお見舞い申し上げます。1日も早い復興を祈念いたします。
また、福島原発の事故により、被害を受けられました皆様にもお見舞い申し上げます。

4月29日〜30日にかけて、福島県相馬市を訪問しました。地震、津波、原発事故の影響調査のため、相馬市議会を通じて状況視察に行ってきました。
これは、福島原発の事故が発生した後、相馬市から赤磐市坂辺に一時避難されていた、村岡さんの計らいで実現しました。
村岡さんは、相馬市出身で子供さん3人とご夫婦の5人家族です。地震発生から津波、そして原発事故を受け家族全員で非難されていました。赤磐市に約1ヵ月滞在される中、地元での様子をいろいろと伺うことができました。高校生の長男が学校再開との案内により、4月15日から相馬市の自宅に帰られました。
村岡さんより、「今回の災害の実態を見、多くの人に現状を知らせてほしい」との要請と、私も、今後の赤磐市の防災対策や危機管理に対し、大変参考になるのではと考え、現地議会議員さんとの調整を取っていただき視察が実現しました。
相馬市の議長さんをはじめ副議長さんからも、「今、見てほしい」と連絡を受け、同僚の佐藤議員、海野議員、松田議員、治徳議員と5人で訪問することにしました。
復興した後でも、震災直後でも無く、今、実情を見、その災害に対応している人たちの声を聴き、それを皆さんに届けることが、我々議員の使命だと強く感じています。
まず、村岡さんの案内で、相馬市役所の市議会事務局を訪ね、事務局長の案内で、議長室で意見交換会を行いました。



相馬市議会 波多野広文議長、佐藤 満副議長、草刈敬三監査委員の3人で出迎えていただき、事務局長と村岡さんが同席の中、意見交換を行いました。



波多野議長さん等から、以下のような話がありました。
・相馬市の人口は約4万人弱で、農業、漁業が中心である。
・地震・津波により堤防が破壊され、農地や住宅地を津波が襲い、塩害が出ている。港の船のうち、70%が被害を受けた。電気水道がやっと復旧してきたが、約1200名の人が、被災している。死者は410名ほどで、不明者はまだ70〜80名いる。
・仮設住宅が58戸建設中で、4月30日から入ってもらえるようにしていく。
・4月28日で49日を迎えた。対策本部は毎日朝8:00と18:00の2回の会議を持ち、議会も毎日10時からの会議を持ってきた。
・議員が何ができるか?の質問に、地域コミュニケーションを通じ、被災者の心のケア―をしながら意見を聞き、集約して対策本部へぶつけることが、一番の仕事と考えている。
・被災すぐはおにぎり1個と言う生活であったが、今は十分な食料確保ができている。また、支援物資もすぐに届き、食料等は十分にある。避難地では、食糧難では無く、メタボが深刻な問題となりつつある。生活の糧が無い、働く場が無い事が、一番の問題である。
・5月初めより瓦礫の撤去を始める。その後、地域のまちづくりを考えていく。しかし、計画が進まない大きな要因は、原発である。国の動きが悪い、指示が無いのが問題だ。
・店については、大手のスーパーはダメだ。本社の指示ですぐ引き上げ。地元の小さなお店は開いていた。やはり地元だ。
・マスコミはダメ。原発が水素爆発をお越し、80qが云々と言った瞬間から、全くいなくなった。今でも、ほとんどのマスコミが来ない。他の地域では、市の職員や議員、医者、そして市の責任者まで、逃げてしまったところが有る。相馬市の場合、全市議会議員が残って対応してきた。
今後の大きな問題として、病院の問題が有る。病院の医者や看護師が逃げ出し、入院患者が置き去りとなり、数百人を他の県の病院へ移送した。残念ながら、移送されて先で数人の人が亡くなった。非常時の入院患者への対応について、十分対応ができるようにしておかなければならない。これは、津波や原発事故のような想定のし辛い緊急時に考えておかなければならない重要なことだ。
けが人や病気の人を、病院、医院に連れてゆこうとしても、医者がいち早く非難しており、対処できない。医者の言い分としては、「将来の重要な時期への対応のため」との事だ。釈然としない。
 ・物資の配給について。食べ物がなくなり、配給をしなければならなくなるが、避難所へ居る人は良いが、自宅にいる人が問題となる。物資を取りに来てもらうように呼びかけても、来れるのは元気な人だ。弱っている人など、動けない人には、届かない。
そこで、郡部と町部で大きな差が生じた。郡部では、区長さん→班長さん→個々の家庭という繋がりが密で、人の消息についてもきちんと早くつかむことができ、お互いが助け合い、安否確認がスムーズにできた。一方、町部では、実際に住んでいる人の数の確認ができず、例えば1世帯当たりの支給物資であっても、あらかじめ届けられている数ではなく、はるかに多い数の人が取りに来て、大変な混乱が有った。
コミュニティーの大切さをつくづく感じた。大きな反省点でもある。災害時の郡部の力には感服した。
・連絡をする際の、個人情報については、さほど問題になることは無かった。
・3万円の支援金を支給することになり、受け取り申請をすることで、状況が確認できるようになってきた。
・相馬市では、大きな混乱が無く復興に向けて舵を切っているが、今回の震災で特に強く感じたことは、リーダーシップである。
とにかくリーダーシップのとれるトップがいないと、初めから会議をしていたのでは大震災の対応は間に合わない。その後調整のできるような、リーダーシップが必要。
相馬市は、行政機関が被害に遭わず残っていたため、早く対応ができた。また、トップのとっさの判断力にも助けられた。市長、議会が協力し対応した。
防災計画を策定し、防災訓練も行っていたが、その通りにはいかなかった。
相馬市では、行政自らが動いた。支援を待つだけでなく、自らが必要なものを取りに動いた。ガソリンや必要なものを確保するために全力で動いた。その結果、早い支援ができた。各地区に、担架も配備し、搬送に備えた。
・防災協定を結ぶことが大切だ。相馬市は、事前に防災協定を結んだお店などから、食料の提供や物資の無料供給を受けることができた。この協定を結ぶことがとても大切だ。また、計画を立てる際、様々なことを想定することも必要だ。
・災害対策本部での指揮について、卓上での指揮や確認は、実践的でない。相馬市では、防災訓練の中で、壁を使いすべての物を張り出し、刻一刻と変わる指示や状況を誰でもが一目で見れるようにし、統一を図り功を奏した。これは、赤磐市でも利用してほしい。地図については、張り出した地図の上に様々な情報のフィルムを重ね、被害状況、進行状況、対応状況などが分かるようにもした。これも重要なことだ。
そして、そのたびに写真を撮っておくことが重要だ。見返すことができる。





・相馬市の隣まで、原発事故による放射能により、立ち入り禁止区域が設けられている。
何時、相馬市もそのような命令が下されるやもしれない。相馬市では、20s用のリュックサックを各戸に配り、もしかの時には、同じ色のリュックを背負い、みんなで逃げようと、団結している。
・最後に。「市民に安心を与える事が、災害時には必要」と強く感じる。

以上が、お聞きした概略です。

とにかく強いリーダーシップと決断力がリーダーに求められることと、地域のコミュニティーが、災害時には必要で有る事が実際の経験からうかがえました。

この後は、被害の実態を直接見て欲しいとのことで、村岡さんの案内で、現場を視察しました。その様子は、筆舌に尽くしがたい状況です。各々の家では、やっと片づけに着手し、少しずつ瓦礫の撤去や、壊れた船の片づけをしておられる姿が、印象的でした。
津波の大きな被害を受けた地域は、砂浜の上を波が走った後のように、遠くからは砂浜と見間違えるほど、何にもなくなっています。家も畑も何もかも嘗め尽くされています。
以下に、その時撮影した写真をいくつか掲載します。あえて、何も説明はつけません。
村岡さんも、議会関係者も、「頑張ってください」と声を掛けられるのが一番つらい。自分たちは「頑張っている」これ以上「頑張れ」など無い。「もちろん、頑張る。」
「この実情を直接見て、もしかの事態に備えてください」、「この様子を、皆さんに知って貰って欲しい」との思いを託されました。
赤磐市は、他の地域に比べても恵まれています。我々は、自分の住んでいるところの防災もさることながら、近隣で、もし災害が発生した際、如何にタイムリーに必要な助けができるかも、十分考えておかなければならないと思います。

  

  

  

  

  

  

  

  


金さんコラム            2011年4月5日(火)


朝夕は肌寒さも感じられますが、日中は汗ばむほどの好天です。春の日を浴び、つくづく平穏であることに感謝を感じる傍ら、東日本大震災に遭われた地域の皆様の事を思えば、心が強く痛みます。
昨年第1回目として、砂川の上に「鯉のぼり」を泳がせ、大変好評を得ることができました。今年も「鯉のぼり」を泳がせることになり、東窪田・西窪田地区のみなさんのご協力により、4月3日(日)に18匹の鯉のぼりを、砂川の上に泳がせることができました。
今年は、鯉が水につからないようにするため、ワイヤーを張る背の高い電柱を新たに設営しました。
昨年、地域のみなさんが持ち寄った鯉のぼりは、半数ほどが使用不可能なほど痛み、今年新たに5匹の鯉のぼりをいただきましたが、昨年ほどの鯉のぼりの数になりませんでした。(*泳がせる鯉のぼりの寄贈をいただければ幸いです。)
また、今年は、東日本大震災の被災者の事を考え、自分たちが何かできないかと相談し、応援メッセージを手書きした、手作りの鯉のぼりを泳がせることにしました。
「みんなでがんばろう!日本」と「被災地支援のため、私たちができることをしよう」のメッセージを書きました。また、早期の復興を願い、鯉のぼりの間に黄色のハンカチも取り付けました。みんなの願いが届き、1日でも早い復興がなされることを祈ります。
この復興を願った「鯉のぼり」は、4月5日の山陽新聞朝刊でも取り上げていただきました。5月末までこの鯉のぼりは、被災地の復興を願い砂川の上を泳ぎます。


東窪田・西窪田地区のみなさんの願いを届けます。






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